HOME | profile

残しておきたい気持ちがあります…今日より素敵な次の日に

Hiro-Feelingraphy/Hiro-Weddingraphy京都のフォトグラファーHiro Uenishiの家族名作劇場を紹介します。


1986年 京都精華大学美術学部卒業
1999年 までコーヒー会社勤務

2001年 ウエディングフォトグラファーとして活動開始
     スナップ撮影及びアルバム製作・会場業務提携・等
2008年 ウェブサイト公開
2010年 屋号をHiro-Weddingraphy(ヒロ ウエディングラフィー)に改名。
2010年 ウェディングフォト・アワード2010・ベストショット部門・金賞
2012年 ウェディングフォト・アワード2012・ストーリー部門・金賞
2013年 結婚式のみの撮影から各種記念撮影、ポートレイト撮影を始める
2014年 京都タワー㈱創立50周年記念「京都タワーのある風景」フォトコンテスト・金賞
2015年  Hiro-Feelingraphyとしてweb宣材撮影を始める
2016年 「日本で最も美しい村」フォトコンテスト2016・特選
2020年 エプソンフォトグランプリ2020ヒューマンライフ部門・優秀賞

生まれたのは真夏。
お天気の良い日で、朝8時半頃だったらしい。
親父のスーパーカブがパンクした時、おふくろの腹もパンクした。

生まれたばかりのこの時はカメラマンになるなんて思っていなかった。
当たり前だけど(笑)


小学校の時、朝みんなで歌う『あさのうた』の作詞作曲をした。
♪おはよう おはよう さあ これからの 
 たのしいべんきょうに ぜんりょくつくしていこう♪
6年の時の担任の先生が写真好きで、生徒の写真を沢山撮ったので
自分の写っている分をほとんど焼き増ししてもらった。
沢山たのんで支払いがかさんだので親にちょっと叱られた。

「将来の夢」という作文で「百姓になりたい」と書いた。
この時はまだカメラマンになるなんて思っていなかった。


中学校の入学式で入学生代表の挨拶をした。
夏休みの宿題で絵を描いたのが金賞に選ばれて有頂天になり
絵を描くことが大好きになった。
美術系の高校に進みたいと言ったが普通科を受けるように勧められた。

この頃、やっぱりカメラマンになるとは想像もしていなかった。


高校生になって間もなく親元を離れて兄姉だけで住み始めた。
兄貴の一眼レフカメラをこっそり持ち出してよく写真を撮った。
プリント代にかなり生活費を使ったので、少し悪い気がしていた。
美大志望だったけど、理数系の進学クラスに進んだ。

やっぱりカメラマンになるとは思ってもみなかった。


結局美大に進学した
バイトして絵を描いて、恋と失恋とを何度か繰り返した。
親父は元教師でおふくろと職場結婚、二人の兄貴は共に教師。
僕も将来は美術の先生になろうと思っていたけれど
遅い反抗期がきて、卒業したらギャラリー喫茶をやろうと考えていた。

だから、この頃もカメラマンになるとは夢にも思わなかった。


直ぐに店を持つ事も出来ず、コーヒー会社のメーカーに就職した。
全国57ヶ所に営業所がある会社で関西地区個人売り上げトップになった。
一部上場企業完全週休2日、時間はたっぷりあった。
毎週土曜日はライブハウスに踊りに行っていた。


ある日、身内の結婚式があってスナップ写真を撮った。
プリントを切り貼りしてアルバムを夢中で作り、『最高!』と思った。
そしてそれ以来、僕は会社の同僚が結婚するたびスナップを撮っていた。

その頃はもう結婚式の写真を撮ることが大好きになっていた。


やがて僕は、一冊のスナップアルバムを片手にホテルの写真室に向かった。
その時の僕はもちろん、カメラマンになろうと思っていた。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------